NOOSOLOGY ヌーソロジー
ヌーソロジーについて
ヌーソロジーって何なの?とよく訊かれる。一応、「noosology」と綴っているので、字義的に言えば、noos(ヌース)とlogyを組み合わせたものということになる。
noosとは古代ギリシアの哲学者たちが好んで使っていた言葉で「神的知性」の意味があり、logyは英語の接尾辞で「~学」や「~論」を意味する。だから、noos(o)logyとはおおよそ「神的知性に関する学」といったような意味になる(語感の響きをよくするために、間に「o」を入れている)。まぁ、ここまで、説明したとしても、「じゃぁ、神的知性って何?」という質問が飛んでくるに違いない。簡単に説明してみよう。
僕たち人間にとって、世界はまず”与えられる”ことによって存在している。人間はこの与えられた世界を感官を通して知覚し、そこから、ああでもない、こうでもないと、知性を働かせ、いろいろと思考する。その意味で、人間の知性は受動的なものだ。受動的なのだから、この知性は、モノや世界の仕組みがどうなっているのか──つまりHOW?という疑問に関しては事細かく考えることができるが、それらがなぜそのようになっているのか──つまりWHY?のそれに対しては何も考えることができない。受動的なのだから仕方がない。神的知性というのはそれとは全く逆のものと考えるといい。神が世界を創造するにあたって、そこにはおそらく何もない。
だから、神はそこから一つの思考を能動的な知性の名のもとにおいて発出させる。この思考は前もって対象を持たないので、思考自体が対象へと変身を遂げるしかない。そうやって、思考することがそのまま生成となり、その思考の身振りの連続性が世界を一つの生命として組織化していく。だから、この知性はすべてのWHYにも容易に答えることができる。神的知性なるヌースとはそういうものだと考えるといい。
ヌーソロジーはこのヌースの在り方を具体的に思考していく学である。別の言い方をすれば、物質の中に潜む精神の有り様を露にしていく「反転の存在知」と言ってもいいだろう。
空間に見え隠れする精神
普段私たちに感覚される空間は、距離や座標で語られるような均質的な空間である。
その空間では、私やあなたという主体さえも、ほかのあらゆる物質と同様の客体として見做されているだろう。
しかし、ここから一歩踏み込んで空間に本来の主体を見出してみよう。
そこで私たちは、これまでの無機質な空間とは全く異なった、精神の息づく空間を発見する。
その空間は、イデア的でシステマチックな構造体であると同時に、情動している精神である。しかし、知性がこのような空間を把握するためには、それに対応する概念が必要となってくる。このような新しい空間概念を、ヌーソロジーは提案していく。
20年かけて洗練されたロジック
私たちが新しい土地に向かう時は、その土地の地図を持ち歩いていくように、新しい空間を理解するにあたっては、その空間の見取り図となるようなものがあった方がいいに違いない。
観察子という概念で組み立てられた、ヌーソロジーの中でも根幹をなすロジックは、ちょうどそのような新しい空間の見取り図だと思ってもらうといいだろう。
※観察子というのは空間の区分を示す地図記号のようなもので、これを参考にして意識の位置を確認することができる。
ヌーソロジーのロジックとケイブコンパス
cavecompass(上動画参照)は、ヌーソロジーのロジック(見取り図)をシンプルに視覚化したものである。ψ1とかψ2と表記されているものが観察子(地図記号)である。
ケイブコンパスを使うことで、それぞれの空間の連続性や相互作用を視覚的に見て取ることができるようになっている。ヌーソロジーでは、科学、哲学、古代の神秘思想など、あらゆるジャンルの言説をこの構造を使って説明するので、それぞれの分野が、実は同じものを志向していたということ、同じものを全く別の角度から解明していたことがよく理解されてくることだろう。
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