NOOSOLOGY ヌーソロジー

時間と別れるための50の方法 Vol.16

TEXT BY KOHSEN HANDA
時間と別れるための50の方法 Vol.16

4次元空間への脱出口

「時間と別れるための50の方法」とタイトルを銘打って書き進めてきたこの駄文も、もう(16)まで来てしまいました。肝心の時間についての話が一向に出てこないじゃないかとイラついておられる方もいらっしゃるかもしれません。ようやくです。ようやく、これで時間を含めた4次元という次元(4次元時空と4次元空間)の本質についてヌース的な視点から話す準備が整いました。ここからは今まで以上に頭の柔軟性が必要になります。OCOT情報を交えながらじっくりと進めて行きましょう。

 

 モノから広がっている3次元空間の方向性はシリウスでは何と呼ぶのですか?

 垂子(スイシ)です。垂子とは線です。

                           (シリウスファイル)

 一つのモノから広がっている空間。これをシリウスでは「垂子」と呼んでいるようです。「垂子」の「垂(スイ)」というのは、おそらく「3次元世界に垂直に直交する」というところから名付けられたのではないかと思われます。つまり、モノの外部の空間に出た時点で、空間は尺度的な空間から出ているんですね。言い換えるなら、3次元を超えた領域に入っているということです。 「えっ、物の外部の空間は3次元空間じゃないの?」という声が聞こえてきそうですが、その辺りの事情をちょっと詳しく説明して行ってみましょう。
まずは、今まで説明してきた次元観察子Ψ3とΨ4の球空間の半径が持つ互いの関係を図に示すところから始めてみます。

このシリーズの(10)でも話したことですが、Ψ3とΨ4の球空間の半径にあたる部分は何かと言えば、ざっくりいうなら、それは人間がモノを観察している視線がある空間と言えます。当たり前のことですが、モノの外部の空間からは、私たちはモノの回転を観察することができます。このことは、以前もお話ししたように、視線はモノの内部の3次元性をすべて一本の線分の中に取りまとめることができていることを意味しています。つまり、モノの内部の空間から見れば、モノの外部は次元階層が一つ上昇した空間になっており、その上昇のときに働いてくるのが4次元性、つまり、観察の力が活動している場所なのです。そして、モノの外部にも観察する方向と観察される方向が存在しています。つまり、「対化」として方向が二つに分かれているわけです。

この図1から、次元観察子Ψ3の球空間の半径部分は観測者から見て、モノの背後方向に延びている青い矢印に対応することが分ります。一方、次元観察子Ψ4の半径部分の方は、モノの手前にいる観測者自身の方向、さらにはそこを突き抜けた観測者の背後側へと延びている赤い矢印に対応しているのが分ります。皆さんもこの二つの方向性の違いをしっかりと確認してみて下さい。

 ブルーの矢印を半径として、それを回転させてできる球空間と、レッドの矢印を半径としてそれを回転させてできる二つの球空間方向性の違いが何を意味しているのかがすぐに分かると思います。Ψ3のブルーの半径が指し示す方向は、観測者の正面方向にあるので「見える空間」ですが、Ψ4のレッドの半径の方向性は対象の手前方向に向いていて、「わたし」の顔面方向、さらには「わたし」の背面方向となって、共に「見えない空間」の方向であることが分ります。この〈見える/見えない〉という関係がそのまま「人間の外面」と「人間の内面」の違いに相当すると思ってください。ヌーソロジーでは人間の外面を「現実的なもの」、人間の内面を「想像的なもの」と言ったりするのですが、これは、「前」は「見える」という意味において現実ですが、「後ろ」は「見えない」という意味において、つねに想像的なものでしかないからです。

 私たちが普段モノから広がっていると考えている3次元空間の概念は、実は人間の内面=Ψ4の球空間にしかあてはまらない、というのが前回の内容でした。では、現実として目に見えている人間の外面=Ψ3の球空間は一体どこにいったというのでしょう。

 ここで、もともとΨ3の球空間が2次元射影空間を作り出すための球空間であった、ということを思い出す必要があります。モノの背景面方向には確かに、無限遠方へと延びている線分が感覚化されています。しかし、現実としての知覚正面上ではその線分上の点はすべて一点で同一視されているのが分かります。つまり、射影空間上ではΨ3の球空間の中心点(「光学中心」と言います)と無限遠方は同じものになっているという言い方もできるのです。つまり、無限の長さの半径が無限小の長さに潰されているということです。そうした線が回転するのですから、Ψ3の球空間はその見ている対象の中にある微小な球体へと縮まっていると考えられます。Ψ4に包含されてしまったΨ3とは何と中心点近くまで入り込んでいるわけです。『人神/アドバンスト・エディション』では、この入り込みを空海のいう「重々帝網」という概念を使って即身化のルートと呼びました。微塵のミクロ世界にも、マクロが映り込んでいるというわけです。ライプニッツの言葉を借りれば、これは「モナド」です。

 こうして丁寧に説明しても、見えている世界が物の中のミクロ世界にあるだって……?そんなバカな!と思う方がほとんどだと思います。とにかく、実際に皆さんの身体を使って、空間の様子を確かめてみて下さい。前回示したワークで言えば、バスケットボールの周囲を回転していくときに、その中心とその背後方向に延びている無限遠へと延びている線が、視覚的現実には点にしか見えていないことを確認しながら、ゆっとりとバスケットボールの周囲を回ってみればいいだけです。

 どうでしょうか。ボールの背景面上で次々と遷移していく無限の彼方にまで延びているはずの視線の突端は、視覚空間上ではボールの中心点とピタリと一致して、点にしか見えないのが分りますね。知覚的事実としてこれは否定のしようがありません(下図1参照)。

「神が聖母マリアの胎にひそかに宿り給うたとき、そのとき点が円環を内包したのだ。」

ヌーソロジーではもうおなじみの引用(『シリウス革命』205ページ)ですが、これは16世紀に活躍したオランダの建築家J・シェフラーという人物の言葉です。この言葉には、「人間の空間認識の反転が世界に創造者を再来させる」という意味が秘められています。マリアの胎(はら)にひそかに宿り給う新しき神………受胎告知ですね。この「ひそかに」というところがミソです。光の救済なんてものはそんな派手なものとしてはやってこない。人間の内面に堕ちていた光のかけらが人しれずそっと物質(マテリア)の中心へと回帰するとき、そこから光の目醒めが始まるのです。

――つづく。

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