こんにちは。ヌースアガテメイア代表の半田広宣です。今回、初の試みとしてヌースアカデメイアからメルマガを発行することになりました。ヌースアカデメイアの発足は2001年だから、もう15年そこそこ経っているわけだけど、メルマガを発行するのは初めてのことです。
なぜ、ここにきてメルマガなのか――と言うと、これは現在、ヌースアカデメイアの運営を手伝ってくれているスタッフO君の提案がきっかけです。実は、現在、ヌーソロジーに関心を抱いてくれる人たちが急増してきています。これは、去年行った大阪でのヌースレクチャーの一部をYOUTUBEにUPしたことが原因だと思うのだけど、あれ以来、「え~、こんなのあったんだ」「ムチャクチャ、面白い」「ヌーソロジーについてもっと知りたい」といったようなメールがアカデメイアの方に寄せられています。一つ一つの要望に何とか丁寧に対応しようとしているのですが、よくよく考えてみると、ヌーソロジー初心者たち向けのテキストやドキュメントがまったく用意されていないことに今更ながら気づきました(笑)。関西ヌーソロジー研究会の川瀬さんや、昔からヌーソロジーをウォッチしてくれているΦさん、さらにはRaimuくんといったベテランヌーシストの面々が各自各様に、ネット上でビギナー用のテキストを頑張って用意してくれてはいるものの、ヌースアカデメイア文責のもとにオフィシャルに書かれたビギナー用のテキストは今のところ一つも存在していません。そのため、適切なフォローができず、ヌーソロジーにもう一歩深く踏むチャンスを逃した人たちも結構います。これは残念で仕方ない。
実際、現在に至るまでのヌーソロジーに関するコンテンツをチェックしてみると、レクチャーライブとその録画DVDがあるだけで、これはオタク的というか、今まで長年ヌーソロジーをウォッチしてきた人たちの向けのメディアになっていて、とてもビギナー向けとは言えない代物です。ヌーソロジーは常にフロンティア精神のもとに進んでいるので、後ろを振り返るまでの余裕がなかったというか、もともと人に教えを垂れるといったようなスタンスで作業していませんし、僕自身、正直言って、「啓蒙」といったような言葉の響きも苦手なんですね。そのため、分りやすい教科書的なものを作ることにはためらいがありました。
あと、ヌーソロジーが作り上げようとしている世界ビジョンの全体像が僕自身、今ひとつよく見えていなかったかったせいもあるかもしれないな。いずれ詳しく説明していくことになると思いますが、ヌーソロジーは何から何までが新しい概念で埋め尽くされた思考の体系になっています。普通、概念というのは共通の概念体系の下敷きがあって、その上で相互に織りなす関係性の中で始めて意味を持つことができます。しかし、ヌーソロジーの場合、「最初にシリウス言語ありき」から始まったものなので、体系もへったくれもありません。とにかく、最初にいくつかの点を見出し、それらの点をつないで線にしていくことで、そこに何らかの形を見つけ、徐々に絵を描いていくことによって体系を見出していくという作業だったんだよね。ジグソーパズルのような感じかな、とにかく、初期の頃は僕自身にもその全体像が全く見えなかった。最初は正しいと思って意味づけしたある概念が、解読が進んでいくうちに徐々に齟齬をきたしてきて、後で訂正を余儀なくされる、なんてことも何度もあった。これじゃ、教科書が作りたくても作れない(笑)。だけど、2009年~2010年の福岡でのレクチャー、さらには2013年~2014年の東京でのレクチャーシリーズを経て、ヌーソロジーの思考というものが一体どういうものなのかようやくその全貌が明確化されてきた感があって、自分の中でもかなりクリアになってきたんだ。
だね。ようやく「時が来た」という感じなの。ヌーソロジーが大手を振って通りを歩ける時代が(笑)。僕自身の頭の中がクリアになったということは、他の人たちにもある程度は分かりやすく語っていけるということでしょ。それなら、ここらで、ビギナー向けのメディアを作ってもいい頃ではないか。そうすれば、ヌーソロジーに関心を持ってくれる人たちがもっと増えてくることになるだろうし、また、これからヌーソロジーを学んでみたいとするビギナーの人にも余計なストレスがかかることもなく順序立ててヌース的思考の何たるかを伝えていけるのではないか、と、思いを巡らせ、こうしたメルマガの形でのカジュアルなメディアの設置を判断した次第。
過去何十年とヌーソロジーを追いかけてきたヌースマニアの人たちには大変申し訳ないのだけど、これからヌーソロジーはかつてのような、薄暗い地下室のような密室感は失っていくかもしれんね。それがよかったのに、という人も結構いるから(笑)。霊的思想の伝達の在り方としてこうしたお手軽なスタイルを取ることが正解なのかどうかはわかりませんが、ヌースマニアの人たちにも、このメルマガは十分楽しめるものになっていくのではないかと思いますよ。
ということで、とにかく、よろしくお願いします。
・ヌーソロジー関連の出版物
まずは基本的なことから話していこうね。
ヌーソロジーがオフィシャルに産声を上げたのは1997年に発刊された『2013: 人類が神を見る日』からだね。その後、『2013: シリウス革命』(1999年)、『2013 :光の箱舟』(2001年)、『2013: 人類が神を見る日/アドバンストエディション』(2008年)と、合計4冊の著書を通して、そのときどきまで組み上げたヌーソロジーの世界風景をダイジェストしてきました。それぞれ、少しだけ、中身の紹介をしておきますね。
1.『2013: 人類が神を見る日』
ヌーソロジーを構築していく契機となった僕のチャネリング体験を中心にヌース的思考の息吹を私小説スタイルで書いてます。この本はPOP-SF-スピ風に表現しようと書いたので、ヌース本の中では一番読みやすい本ではないかと思うよ。
2.『2013: シリウス革命』
1998年から1999年の約1年間の間、仕事をすべて休んで書き上げた本です。ヌーソロジー(当時はヌース理論と呼んでいた)全体のイメージをコンパクトにダイジェストしてみようと思って書きました。この本は構成も凝ってるね。どの部分を開いても、エッセイ-交信記録-交信記録解説という三つ組の構成からなっていて、ヌーソロジーの宇宙ビジョンが芽を出し、双葉をつけ、やがて巨大な幹となって葉を生い茂らせていく様子を600ベージ余の紙面を通して描いています。エッセイ部分が入っているので、その部分は読みやすいです。
3.『2013 :光の箱舟』
ゲージ理論の研究者である砂子岳彦氏と一緒に書いた本。素粒子世界と意識の関係について特化して書いた本だね。今読むと、僕のパートの方は幼い(笑)。射程の割には物理学の知識も不足していて、まだ説得力には欠けます。砂子さんのパートの方は、さすが専門家だけあって、きっちりと物理学の諸概念に沿って、ヌーソロジーと素粒子論の絡みを整理してくれています。上の二冊に比べてエンタメ度が少ないので、ある程度ヌーソロジーを知った人向けというか、物理学を少しかじったことがある人向けかな。
4.『2013: 人類が神を見る日/アドバンストエディション』
当時、懇意にしていただいていた徳間書店のT編集長の尽力で出せた『2013: 人類が神を見る日』のリニューアル版。こちらは最後に『トランスフォーマー型ゲシュタルト・ベーシックプログラム』と銘打って、100ページほどヌースの空間認識について補足しています。この補足の内容がかなり難解だったこともあってか、この本は全く売れませんでした。初版8.000部止まり(笑)。T編集長にはホント申し訳ないことをしたと思ってます。ごめんなさい。
『光の箱舟』の出版が確か2002年で、そのあと7年間、外部での活動は控え、ネットだけで活動していました。いわゆる充電期間だね。で、ようやく、2009年になってリハビリ代わりに地元の博多で「ヌースレクチャー2009」と「ヌースアトリウム」を開催し始めました。
2013年から再び、東京でヌースレクチャーを開始したのですが、これは最初から予定していたんだよね。「2013年からは動くぞ」って。本を読んだ人たちは知ってると思うけど、「西暦2013年」はヌーソロジーにとって人間の意識のベクトルが再び、物質から精神の方へと反転する記念すべき年(笑)。ヌーソロジー関連のすべての書籍のタイトルに「2013」が冠してあるのも、すべてこの始まりの年としての「2013」を念頭においてのこと。
そんなこんなで、2013年からはそれまで自分の書いた本の責任を取るためにヌーソロジーの活動を積極的に展開し始めたってわけ。東京でのレクチャー開始もその一環。で、その最中、ちょうどタイミングよく、ヒカルランドの編集者から中山康直氏との共著の話が舞い込んできたんだよね。中山氏は麻の解放運動でその方面では有名な人物だけど、実は中山氏とは2001年ぐらいに京都の講演会でコラボしたことがあって面識がすでにあったんだ。それでトントン拍子で話がまとまり、対談形式の本が数ヶ月であれよ、あれよと言う間に出来上がった。それが『反転の創造空間<<シリウス次元>>への超突入! 』という本だね。
この本は中山氏との共著ということもあって、主にスピ系の人たちに焦点を当てています。ですから、ヌーソロジーに関してそれほと深く突っ込んだ議論はしていない。でも、アマゾンの書評なんかを見ると、「これはスピ系の本ではない」とか書かれてあって、ちょっと失敗したかな、と思っています。
日本のスピ系ひどすぎるぅ〜(笑)。まぁ、それでも重版したから良しとするかな。
■ヌーソロジーとは
さて、一回目からあまりダラダラとやっては締まりがなくなってしまうので、最後に「ヌーソロジーとは何か」について簡単に書いて第一回目のメルマガを終えることにしよう。
宇宙とは、そして人間とは一体何のために存在しているのか――こうした疑問は人間が生きていく上でもっとも根本的なテーマだよね。 ゴーギャンの作品のタイトルにもあるように「我々は一体どこから来て、 我々は一体何者で、我々は一体これからどこへ行こうとしている」のか。
ゴーギャン ≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫ 1897-98年
皆んなは古代ギリシアの哲学者のプラトンという人を知っているよね。彼は「人間世界(物質)とは意識世界(イデア)の投影である」といった宇宙観を提唱していた。彼の哲学によれば人間が経験している現象世界というのは洞窟の壁に映る影のようなで、実体ではないと言うんだ。本当の実体の世界は洞窟の外にあって、そこには善のイデアを中心にして活動する真実の人間の世界が存在していると考えたのね。そして、人間が今こうして物質世界の中で生きている目的とは、哲学することによって影の世界から抜け出し、善のイデアの世界へと帰還することだと語ったの。こうした「自らの神聖なる起源へと戻る」という考え方は何もプラトンの哲学だけには限らないんだ。キリスト教が登場する以前の古代世界は西洋であれ、東洋であれ、みんな同じような世界観を共有していた。そのような思想の潮流は広義の意味ではグノーシス思想と呼ばれているね。プラトン哲学とはその意味ではグノーシス哲学と言っていいと思うよ。
で、ヌーソロジーとは何かについてだけど、ヌーソロジーはまさに現代に蘇ったグノーシスだね。現代科学のように物質で宇宙が作られているなんて見方はしない。それらはやはり「影」だと見なす。何の? 精神の。いや、精神という表現は語弊があるな。もっとストレートに「霊=ガイスト」と言ってもいいかもしれない。「霊」とか言うと、引いてしまう人がいるかもしれないけど、これはプラトン風に言うならイデアのことと考えていいよ。つまり、ヌーソロジーはイデア世界が見えるようになる視力を育てるための思考体系と言っていいかもしれない。思考体系だから、宗教じゃない。もちろん、ワンネスとかノンデュアルとかいったスピ系の思想でもない。一見、哲学っぽいところもあるけど、物質を精神として語るという意味では既成の哲学の枠には収まらない。要は、今までに存在したことのないジャンルの思想なんだ。その一番の特徴はプラトンが提唱したイデアの世界観を、空間認識の変更によって構築していこうとする考え方。こうしたアプローチは従来のオカルト系の知識にもないんだよね。それは、言い換えれば、科学が長年渡って作り上げてきた物質についての膨大な知識に巴投げを食らわせ、そのまま霊的知識へと変換していく作業を意味している。
要は、物質と精神(=霊)の関係を空間という視点から統合しようとする具体的なイデア論と言っていいね。ヌーソロジーというのは僕の造語だけど、これは古代ギリシアの哲学者たちが能動知性の意味で用いていた「ヌース(noos)」と、同じく理性の意味で用いていた「ロゴス(logos)」を合成した言葉で、ヌースの論理、摂理といったような意味を持たせてある。能動知性とは神の知性という意味だから、これは早い話が、神さまが宇宙を創造するときに用いた思考の意。だから、ヌーソロジーとはダイレクトに「創造学」という意味に置き換えることもできる。物質的知識をそのまま精神的知識へと変換していくわけだから、この思考は、まさに“反転の思考”と言っていいね。
もちろん、こうした「反転」は従来のグノーシス的な思想の中では何度も言われてきたことなんだけど、その試みを具体的に展開できた思想は一つもなかった。ヌーソロジーが面白いところは、この “反転の思考”のメソッドを具体的にイメージとして幾何学的に提示していくところなんだよね。いずれ、ヌーソロジーを知るうちに「表相」「円心」「反環」「人間の外面」「人間の内面」などといった、ヌーソロジー特有の幾何学概念に出会うと思うけど、これらは決してオカルト的な概念ではなくて、誰もが論理と感覚の一致の中に相互了解をとることができるものになってる。やがて、これらの幾何学概念が思考の中で有機的に結びついてくると、今まで僕たちが物質と思っていたものが精神=霊へと反転して見えてくる。こうした認識のもとに見えてくる世界――それが人間の来るべき未来の世界なだとヌーソロジーは訴えていく。自分で言うのも何だけど、こうしたグノーシス的アプローチはまだ世界のどこにもないよ。ひょっとして、このヌーソロジーの思考形態はこれからのクールジャパンのシンボルになって、世界をリードしていくかもね。冗談(笑)。
人間世界(物質)とは霊的世界(イデア)の投影であっ————かつてプラトンが語ったこのような世界認識が多くの人の間で復活し、また、それが現実となったとき、いったい今の人間社会にどのような変化が起きてくるだろう。その風景を何とか切り開いていこうとするのヌーソロジーが持った全射程だと思ってもらえばいいかな。その意味でいうなら、今、ようやく歩き始めたばかりの思想だね。
といことで、第一回目のおしゃべりは終わります。最後に例によってメッセージを。
君よ、思考の航海士たれ――
思考することは一つの航海のようなものだ。
だから、思考者は一人の航海士のようでなければならない。
精神の世界は広大な海洋。
水平線は無限の彼方まで続いている。
思考の船首に波しぶきを上げながら、
どこまでも、どこまでも、
精神の自由を求めて航海を続けること。
砕けては散る波濤のように、
思考は無数の泡沫となって、 真っ青な海面に命を浸透させていく。