NOOSOLOGY ヌーソロジー

時間と別れるための50の方法 Vol.12

TEXT BY KOHSEN HANDA
時間と別れるための50の方法 Vol.12

再度、人間の外面と内面

さて、ここで、ヌーソロジーの人間の内面と外面という空間概念を分りやすくするめに、『人神/アドバンスエディション』でも示した図を引っ張ってきてみましょう。下図1がそれです。

『アドバンス・エディション』では「人間の外面」を見える空間、「人間の内面」を見えない空間として紹介しました。ここで、今一度この図をご覧になってみて下さい。以前もお話ししたように、私たちが空間上で何か一つの対象を見るとき、そこには「図」としてのモノの表面側と、「地」としてのモノの背景空間側が存在しているわけですが、この図ではそれらがともに「人間の外面」と名付けられてブルーの実線で描かれているのが分ります。しかし、互いの面の湾曲の関係をよく見てみると、それらはモノの表面側が凸面で、背景空間側が凹面の関係になっています。こうした凹凸の反転関係から、モノの内部と外部の空間を3次元的なものとして捉えるときには、同じ3次元空間ではなく互いに反転した空間として捉えられるべきだ、と主張しているのが『アドバンスト・エディション』の内容です。

 というのも、私たちの一般的な空間把握(人間型ゲシュタルト)は、こうした反転概念を通してモノとその背景空間を捉えていないからです。どういうことかと言うと、前回もお話ししたように、私たちはモノの外部の空間にも尺度を与え、モノの内部性として感覚化されている「大きさ」という概念で空間を把握することがクセになっているので、対象の背景にある空間領域もまたモノの内部の空間をそのまま単純に拡大させていった空間と同じだと思っています。このような認識でモノの背景空間が捉えられてしまうと、モノの背景面として見えている面は概念としてはモノの内壁(実際に見えているモノの表面のウラ側)を構成している側の面と全く同じ面の延長として見なされてしまうことが分るはずです。

 さてさて、ここまで話してきても、このような空間認識の在り方の一体どこがまずいの?と疑問に持たれる方も多いでしょうが、ここで、よぉ~く考えてみて下さい。しつこいようですが、「よぉ〜く」です。ヌース的に言えば、ここが変換人の意識(顕在化を起こす意識)と人間の意識(潜在化のままの意識)の最初の分岐点になります。OCOTの話が本当だとすると、約13.000年前にムー次元とアトランティス次元への分岐として起こったことと同じことが今からまた起ころうとしているのです。どひゃー。えらいこっちゃ(笑)。

 モノの背景面は果たしてほんとうにモノの内壁をそのまま拡大させていった面となっているでしょうか?この問いに対する答えは実際に見えている空間を2次元の射影空間として捉えるとそれなりに分ってきます。  再度、上図1を見てみましょう。この図では読者の空間イメージを喚起するためにモノ、観測者、そして、それらが配置されている空間の諸関係が真横から見た様子として図示されています。しかし、実際、皆さんがこの観測者の位置に自分が立って、そこからモノや背景空間を見ると、その様子は下図2に示したように、ただ、モノの表面部分(図)と背景空間(地)があるだけの状態となります。

ここでは、モノとその背景空間が織りなす奥行き方向の空間はペッタンコに潰されていて、幾何学的には平面状の形状として現れていることが分ります。つまり、いつも言ってるように、視線として働く奥行き方向のすべてが一点同一視され、2次元の面的な空間になっているわけです。

 ただ、2次元と言っても、ここでいう2次元は普通の2次元ユークリッド空間とは全く違う性質を持った2次元です。こうした空間は幾何学的には2次元射影空間と呼ばれます。分かりやすくいうと、影を作る空間です。立体は影に映すと平面になりますよね。それと同じことで、視野空間に映し出されている視像たちも実際は影と同じようなものだということです。つまり、知覚正面としての視野空間は3次元空間というよりも、2次元の射影空間になっているわけです。

 2次元射影空間の数学的な定義については『アドバンスト・エディション』の脚注部分に書いているのでここでは割愛しますが、大事なことは、視野空間を2次元射影空間と見なした場合、視線上に知覚されるモノの表面上の一点とその背後にあると想像されている背景空間上の一点は同じものとして見なされます。つまり、最初の図1で示すならば、点Aと点Bは一点同一視されると言うことです。このことが3次元空間に対してどのような意味をもたらすかについて考えるためには、モノを中心として視線自体を回転させていってみるといいでしょう。つまり、一つのモノを見ながら、そのものの周りを周り、見つめている視線をモノを中心に回転させてみるのです。

 そうすると、その回転とともに視線上に捉えられているモノの表面上の一点一点は、同じく、モノの背景面上の一点一点と一対一で対応関係を持っていきながら遷移していくことが分かります。とすると、視線の回転によってなぞられていくモノの表面を構成している球面(凸面側)と、モノの背景面としてなぞられていく球面(凹面側)とは、その光学中心(認識されているモノの中心点)で相互に反転している関係があるということが分かってきます。つまり、モノとして認識されている球体の内部と背景として認識されている外部の3次元性には互いに反転関係が隠されているということです。このような認識から、ヌーソロジーでは、知覚正面に捉えられているモノの背景面はモノの表面が反転して現れた面であって、決してモノの内壁が拡大されて現れたものではないと考えます。  では、実際にモノの内壁が単純に拡大されていった面はどこに感覚化されているのでしょうか——それは簡単です。知覚正面側ではなく、知覚背面側です。目の前のモノがどんどん拡大されてくるイメージを作ると、ある時点でそのモノのイメージが観測者自身を包む込むイメージに切り替わります。このときモノの内壁だったところは、自分の背中方向に感覚化されるようになります。つまり、後ろ、です。後ろの空間は、今までお話してきたように、モノの手前にいる自分や自分の顔のイメージが生まれている鏡像空間です。つまり、目の前のモノの膨張が自分の身体を包む込むイメージが生まれたときには、意識が人間の外面から内面に反転させられているのです。言うまでもなく、そうしたイメージで捉えられている空間は実際には「見える空間」ではありません

――つづく。

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