NOOSOLOGY ヌーソロジー

時間と別れるための50の方法 Vol.13

TEXT BY KOHSEN HANDA
時間と別れるための50の方法 Vol.13

次元観察子ψ3とψ4の違い

 さて、こうして知覚正面の世界を2次元の射影空間として解釈し始めると、目の前にあるモノの外部に広がっている空間に相互に反転した二つの3次元空間が重なり合っているイメージが湧いてきます。今まで単一の3次元でしかないと思っていた空間に対して、グレンとひっくり返った別の空間が重なっている描像が出来てくるということです。

 この重畳した二つの3次元空間のイメージが生み出される原因となっているのは射影における4次元からの二つの光の方向性です(本当は、この相互反転した空間の構造体が光を作っていると考えた方がいいのですが)。結果的にこの光が持った二つの方向性がOCOT情報にいう「意識の方向性の対化」という概念と一致してくるのですが、ここも大事なところですから、丁寧に図を用いて説明してみようと思います(下図1参照)。

前回も少しお話したように、2次元射影空間ではこの図1上に示している点Pと点P’を同じものとして見なします。しかし、ここには射影の方向性によって射影面の表と裏という関係が出てくることが分ります。どういうことかと言うと、矢印Aの方向から見れば、球面の表面上(凸面上)の一点Pが反対側の球面上(凹面上)の極である点P’に映し出されることになるわけですが、反対に矢印Bの方向側から見れば、点P’の裏に接している点Qが反対側の極である点Q’に射影されますが、この点Q’は球面を挟んで点Pの真裏に位置しています。

 これが一直線上での射影方向の関係性であれば、さほど面倒ではないのですが、これが3次元の全方向からの射影となると少し話がこんがらがってきます。実際、わたしたちは一つのモノを中心として回転することができるので、視線を射影線と見なした場合、モノの周囲を巡ったときにその視線の綜合として、そこに球空間の概念を作ることができます。とすると、矢印A、矢印Bという射影の方向性の違いによって、この直線が一回転したときには、互いに表裏を捩じり合わしたような形を持つ反転した二つの球空間が現れてくることになります。

 実際にワークをやって、この空間の捻れを感覚化してみましょう。矢印Aが示した点P→点P’の射影を「わたしの視線」、点Q→Q’の射影を「あなたの視線」と見なして、モノを中心にグルリとその周囲を回ってみましょう。

 わたしに見えているモノの表面は他者から見ると他者が見ているモノの表面のウラになり、同様に、他者が見ているモノの表面はわたしが見ているモノの表面の裏面になるような構造が実際に知覚されている空間にもあることが朧げながらも分ってくるのではないかと思います。

 ものの表面だけでなく、背景空間にしても同じです。わたし側から見た背景空間はあなた側からは決して見えない知覚背面となり、同様に、あなたに見えている背景空間はわたし側にとっては知覚背面となって、やはり決して見えません。つまり、いつも言ってるように、「あなた」と「わたし」がともに物を囲んで回転することによって形成される3次元の球空間は互いにその内面と外面の関係が逆になっているわけです。これら二つの空間を数学的に表すと、基底が(1,1,1)と(-1,-1,-1)の二つの3次元ベクトル空間の関係になります。そして、この内と外が相互に反転した二つの3次元空間が持っている双対関係(キアスム)がヌーソロジーが次元観察子ψ3~ψ4、ψ*3~ψ*4と呼んでいるものに相当しているわけです。

 さて、ここで次のような素朴な疑問が出てくるのではないでしょうか。モノの外部の3次元空間が相互に反転しているのであれば、当然、モノを象っているモノの内部の空間も自他の間では相互に反転しているのではないのか?

 確かに射影空間の性質を考えればそういうことが言えそうです。しかし、これについては、まだよく分かりません。というのも、ψ1~ψ2はモノ自体という意味では見える場所、つまり光の場所ではないし、また、このψ1~ψ2がどこからやってくるのか、ちょうどカントのいうモノ自体のように、その由来についてもこの時点ではまだ何も分らないからです。

 前々回も言ったように、もし、次元観察子ψ1~ψ2が触覚の空間と深い関係を持っているとするならば、触覚を通して感覚化されているモノは意識における原初の方向性を立ち上げている場所だとも言えます。触れられるものと触れるものとの関係がまだ未分化なウロボロス的な場所。誰もが新生児の頃に経験したことがあるにもかかわらず、他の諸感覚の獲得や、言語の習得などによって、遠い記憶の彼方へと消え去ってしまった、自身の内部と外部を分け隔てている境界の痕跡ともいえる場所です。

 そのノスタルジーに想いを巡らしながら、目を閉じてそっとテーブルに触れてみるといいでしょう。マウスの表面に軽く指先を滑らしてみてもいいでしょう。そこにはメルロ・ポンティが言うように、触られるものの感覚だけではなく、触っている指先の皮膚表面の感覚までもが同時に伝わってくるのが分ります。つまり、触覚においては「触るものも触られている」感覚がダイレクトに伝わってきます。次元観察子ψ1として放たれた方向性はおそらく触れられるモノの表面の位置というよりも、物の内部空間に入るために穿たれた入り口のような所のようにも思えます。触れることは反対に内触覚的なものとして身体空間を目覚めさせているというわけです。世界に浸透する精神は「わたし」に向けて新たな進化を投げかけている――おそらく、その方向性が知覚と呼ばれるものの本質的な役割でしょう。その意味で僕らは知覚が構成されている空間を潜在的状態から顕在的状態へと引っぱり出さなければなりません。

 近代以降、人間は視覚優位の世界認識を作ってきたと言われていますが、それはちょっと短絡的です。私たちの外界に対する認識は未だ触覚的で、触覚に続く、嗅覚や味覚、視覚、さらには聴覚といった感覚を通した空間認識にはまだ達していないのではないでしょうか。視覚が尺度的なものに縛られすぎているのです。このことは空間が眠っている、つまり、空間に対する理解が、生まれたての赤ん坊のようにまだウロボロス的な状態にいるということを意味しています。僕が人間の世界は実は巨大な一つの宇宙卵だといつも言ってるのも、このような未分化な意識状態のことを指して言っているのだと思ってください。

 前にも言ったように、触覚は尺度を忠実になぞります。大小という概念だけに限って言えば、触覚は極めてユークリッド的、つまり等長変換的な感覚なのです。掌(てのひら)でつかめるモノの大きさは限られていますし、身体の周囲で触ることのできる範囲も限られています。その意味では、触覚空間は射影空間である視覚空間よりも遥かに自由が利かない低次元の空間だと言えます。

 おっと話が横道にそれてしまいました。諸感覚と次元観察子の関係性についてはまた機会を改めて話すことにします。次回はψ3~ψ4の球空間についてまたいろいろな説明を試みたいと思います。

――つづく。

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